2013/08/30

MOOCと学習者の主体性


引き続きMOOCに関する議論が盛んですが、私が東大にいた時にご一緒していた中原先生が興味深い記事を投稿されていました。

NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: MOOCは誰でも、いつでも、どこでも学べるメディアではない!?:主体性とは「非主体的行為」の反復である!?
 http://www.nakahara-lab.net/blog/2013/08/mooc.html



MOOCは未来の教育を根本から変える、という多少短絡的?な見方もある中で、MOOCは自学自習の学習環境の一面があり、学習を続けるためには学び手の主体性がどうしても求められることは、もっと強調されて然るべきだと思います。(さすがですね…!)

自ら学びに参加する学習環境における動機づけが難しいことは、19世紀末頃から続いてきた通信教育や遠隔教育、eラーニングに関わる研究でも盛んに議論されてきました。このような「孤独な学習」の支援がMOOCにも求められることは、以前にも書きました。

The Shigeta Way: How to support MOOCs: 大規模公開オンライン講座の学習支援 http://shige.jamsquare.org/2013/02/how-to-support-moocs.html

一方で、MOOCでの学びが必ずしも個人の学習に留まっていないことも確かです。MOOCの一つであるCourseraでは世界中に学習コミュニティが広がっていて、数千を超える「ミートアップ」と呼ばれるオフ会が開かれています。また、MOOCのよい所は「ゆるい動機」でも参加しやすいことです。何より無料で受講できますし、やめることも自由です。つまり、ゆるく始めたつもりが思った以上に授業が面白く没頭してしまったり、学習コミュニティに巻き込まれてゆくことで動機が形成されたりする可能性もあります。このようなMOOC受講者に多様な関わり方があることも興味深いポイントです。
(このような学習コミュニティから「外部からの他律的な働きかけや影響」がもたらされることも期待したいと思いますが…甘いですかね?)

オンライン学習環境としてのMOOCを大変重宝しているのは、これまで大学教育を渇望していたにも関わらず、地理的・経済的制約のためにその機会が与えられなかった学習者です。朝日新聞の紹介記事で有名になった「モンゴルの少年」はその顕著な例で、発展途上国においては大学教育の学習機会を提供する媒体としてMOOCは強く期待されています。

ちなみに、特に先進国においてMOOCは独立したオンライン学習環境というよりは、ブレンド型学習によって大学教育の質を高めるユーティリティとしての活用が急速に増えています。これについては手前味噌ながら、私の講演スライドでも紹介していますので、ご興味のある方はご覧下さい。

オープンエデュケーションの可能性とMOOCsのインパクト http://www.slideshare.net/katshige/20130818shigeta-small

蛇足ですが、特に米国周辺の教育に関する議論では「教育『機会』の均等」が重視される印象を持っています。それに対して「教育『成果』の均等」を求める見方もあり、日本ではこちらを重んじる風潮をより感じます。MOOCは教育機会を増やす一方で、主体性のある学習者は自らより学んでゆくことで、全体としての教育成果にばらつきが生じる可能性もあります。日本の教育現場においてMOOCの導入を考える上で、考慮すべき点かと思います。