2011/06/22

Partystream for JAPAN収録・「学ぶ」と言うことの躊躇について

先週の土曜日、都内で開かれた「Partystream for JAPAN」にスタッフとして参加した。

6/18 PARTYstream for JAPANのお知らせ! » PARTYstream(パーティストリーム)
http://partystream.jp/?p=361

私の役割はイベントそのものや準備の様子を映像収録することで、午前中から夜半過ぎまで、10時間連続の撮影となった。とても私一人でできる仕事ではなく、ボランティアで参加してくれた教育部のNさん、Sさんが手伝ってくれた。二人の助けでなんとか乗り切ることができた。感謝。
翌日映像をチェックしたところ、かなり多くの良い画が撮れていた。近日中に数分程度のダイジェストムービーを制作する。出来上がりが楽しみである。

当日の様子は、私が同じ研究会に参加している福島さんのブログが大変よくまとまっていたのでご紹介したい。

FUKUSHIMA NOTE : 奇跡のイベントParty Stream にいってきた!

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何か非常に参考になったり、多くの発見がある話を聞いた時に、相手に今日は学ぶことが多くありました、勉強になりましたと伝えることがある。その時、大変嬉しそうな顔をして、どういたしましてと仰る方と、けげんな顔をされる方とに分かれる。お世辞でも何でもなく、ただ多くを知り得たことに感謝を述べたのだが、いい大人になって何を今さら「学ぶ」だの「勉強する」だのと、奇妙に思われるのかもしれない。

しかし、どんな専門家であっても、ある時点でその人の知識や技術の習得が止まることはない。ある分野でプロとして働き続ける限り、周囲から何かを得て見識や技能を高めることができる。専門家の中には敢えて「学ぶ」「勉強する」という言葉を使わない方もおられる。プロとして働き報酬を貰っているのだから、発展途上であるような表明を躊躇するのかもしれない。私個人の考えでは、そのことを恐れるよりも、持ちつ持たれつで成長する意思を互いに堂々と表明し承認しあうほうが、生産的で健全に思える。

私自身が「学び」や「教え」を取り扱うことで暮らしている人間だから、そこから生じるバイアスには慎重にならなければならない。「学ぶ」「教える」という単語に、ポジティブでない印象があるのかもしれない。だがそれを踏まえたとしても、例えばPartystreamのようなイベントに参加した人が、帰り際に「面白かった」「楽しかった」だけでなく、「いろいろ学びました」「いい勉強でした」と屈託なく話してもいいし、その方がなんだか楽しい世界のように私には思えるのである。