2008/02/25

反射するミステリィ;森博嗣「すべてがFになる」

仕事の気晴らしに時々小説を読みます。
最近とあるお薦めで森博嗣さんのミステリィ小説「すべてがFになる」を読みました。

大学教員とお嬢様学生が奇妙な殺人事件の謎に挑む、という推理小説。とても面白く読みましたが、興味深く感じたのは、私がこれまで読んできた「小説」達との違いでした。
例えば数年前熱心に読んでいた福井晴敏の作品。
 

全ての作品に目を通していないので断定はできませんが、これらと比較して堀作品の大きな特徴は、直接的な人物描写がほぼ無いことです。最後に事件の全貌が明らかになり始めて、犯罪の動機や犯人の生い立ちが披露されます。

一方多くの福井作品は、冒頭に登場人物の生い立ちや性格を示しそれを前提に物語が進められ、その「前提条件」から行動の動機が容易に推察でき、読者が「納得性」の高い状態で読み進められる造りとなっています。


私の持っていた推理小説のイメージは、状況証拠とともに犯人の生い立ちや性格が徐々に示され、読者は「証拠もあるし動機もあるからこいつが犯人だ!」と推理する、というものでした。

一方堀作品は動機の提示が全くなく、その部分は読者が彼らの会話や振る舞いから「推察」するしかありません。この時、読者それぞれの人や物に対する見方(一種の先入観)が試され、それが推理の成否を分けることになります。大抵は見方を完全に覆される答えが提示され、激しくカタルシスを感じることとなりますが。

読者の持つ先入観や価値観、人や物の見方が試される、すなわち自身が「反射」して暴かれる。そんな印象を持ちました。恥ずかしい気持ですが、知的刺激を覚える経験です。

---
人のコミュニケーションでも、受け答えや切り返しはある種の相互「反射」です。
私の周りにはそんな反射が見事な方がいて、いつも感心させられます。
私は瞬時の判断力が弱いので、そう受けた時には大抵黙ってしまうか、遅れておかしなレスポンスをしてしまいます。
精進せねばと思いますが、我ながら面倒な人間だとreflectionする今日この頃です。