2010/06/03

「仕事漂流」、断片化された私たちの「物語」

週明けから気持ちのいい天気が続いている。梅雨のシーズンも近づきつつあり、今のうち精一杯楽しみたいところだが、残念なことに体調がよろしくない。流行りの風邪を引いたようで、週明けからずっと微熱があるようだ。そういう時に限ってここ数日会議に加え、オフィスで新たに採用する学生スタッフの面接が続く。周りのみなさんにうつさなければ良いがと心配するものの、大体の方は既にかかった後のようで、私が「しんがり」のよう。早く治ってほしい。

会議等々の他には研究ミーティングなど。今年度のJSETの課題研究にチャレンジしてみようかと、仕事の合間に原稿を書き進めている。出来心がどこまで通用するか…世の中そう甘くはない。

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先日から「仕事漂流」を読んでいる。いわゆる「就職氷河期」に、若者が就職活動から就労、転職に至る過程で何を考えどう行動したのか、複数の事例から語られている。



同じ世代の一人として、共感と驚きをもって読んでいる。一つ気づいたことは、特に「就職氷河期」以降、就職活動において若者は否応なく「私がどういう仕事をし、どういう人生を歩むか」というある種の自己イメージを持つことを要請されるのだが、その自己イメージが明確であればあるほど、就労後の職務との間でギャップを感じてしまう、ということだった。幸いなのかどうなのか、私はその種のイメージを全く持たず(というか、持つ暇も無く)就職してしまった。この種の自己イメージの膨張は、苅谷剛彦先生の言われる「自己実現アノミー」をもたらすと批評されることもあるが、この膨張は若者が自ら引き起こしたというより、環境により賦活されたものとも言える。

ある世代は同じ物語を共有している、と言われることがある。だが殊に働くことの物語について、これは同世代の中でも断片化している。この類いの本は世代を代弁するものと見なされるともあるが、私個人の印象でいうと、この本における各章の事例が多様であること、それら全てが私自身に驚きをもたらしたことは、同世代においても「大きな物語」が既に共有されていないことの証左のように感じられた。


加えて、それぞれの事例が時系列的に説明されているのではなく、その転機を境として前後しながら描かれている。同世代でなくても、純粋に読み物としても楽しめるであろう一冊である。