重田勝介のページ・オープンエデュケーションと教育工学
Katsusuke SHIGETA・Open Education and Educational Technology
2009/11/15
「日本版EDUCAUSE」のススメ
ワシントンからデンバーに移動し、EDUCAUSE2009に参加した。
2009 EDUCAUSE Annual Conference | EDUCAUSE
http://www.educause.edu/E2009
EDUCAUSEは、情報技術の効果的な活用を後押しすることで、高等教育の発展に寄与することを目的とした米国の非営利団体。毎年大規模なAnnual Conferenceを開き、全米の高等教育の広い意味での「情報化」に関わる教員・職員・企業が参加している。いわゆる「学会」とはちょっと違う。NECC(National Educational Computing Conference)の高等教育版、と考えればいいかもしれない。
実は昨年も参加していたのだが、今年のEDUCAUSEでは面白い現象があった。参加者が'#educause09'のタグでTweetし、「ここのセッション面白い」「もう会場満杯」「この発言をRT」などと情報交換をしていた。私も調子に乗って参加し、同じ会場の人と発表に関係する論文を探したり、感想を言い合ったりしていた。
期間を通じて、テクニカルなセッションより、いわゆる「文系」に近いセッションの方がつぶやきが多かったようだ。いわゆる実況ではなく、「このセッションのここがよかった」というような、互いの良質な経験を共有し合う雰囲気ができていた。規模の大きい学会だったが、1日に500ポストは超えていたように思う。自分だけで見て回るより、たくさんの目で楽しめるのはいい。普段仲間内で遊んでいるTwitterとはまた違った使い方を楽しんだ。
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日本でも以前から、EDUCAUSEのような組織を作ろうとする動きはある。昨今の日本の状況を踏まえると、「日本版EDUCAUSE」は一日も早く立ち上げられるべきだ。
現状、日本にEDUCAUSEのような組織はない。EDUCAUSEは情報インフラの最新事情からごく普通のテクノロジを使った実践まで、情報技術の教育利用に関わるもの全ての受け皿になっている。自分自身を振り返って、偶然同じような取り組みをしている人たちを見つけて驚くことは多い。幅広く情報共有ができる場を設けて互いに学ぶ機会を作ることには、とても意味がある。
EDUCAUSEでは、「これは研究」「これは実践」のような「枠」はない。このことが日本でのEDUCAUSEの理解を妨げているのかもしれないが、かの地ではその垣根が低く、段差は小さい。日本でEDUCAUSEを作るなら、どの「枠」で囲うべきかなどどいう議論をする前に、「枠」を意識せず、教育機関や教育産業から人や情報を集めることから始めるべきだろう。EDUCAUSEのような組織は、「研究をどう実践に根付かせるか」「実践からいかに研究を生み出すか」というサイクル、ひいては「教育学」のサステナビリティとスケーラビリティを担保する土台になりうる。
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実はEDUCAUSEはワシントンDCにオフィスを持っており、ロビー活動を展開している。ロビー活動の全てがいいものとは思えないが、少なくとも政治との対話のチャンネルを組織立って用意することは、自分たちの政治や社会からの「見え方」を知るためにも役に立つ。
「私たち」にとって#shiwake3はいい経験だった。研究者と「社会」の間の対話や交流に力を注ぐことは、きっとこれからの学問と社会のために意義のあることだろう。