2017/05/10

これからのオープンエデュケーションについての考察(序)

来月6月1日と17日に、東京と大阪で開かれる「New Education Expo 2017」にて、「本格活用に入ったMOOC 〜内外の現状と今後の展望〜」をテーマとする講演で、明治大学の福原先生、京都大学の飯吉先生とご一緒することになりました。日本におけるMOOC実践を引っ張ってこられたお二方とご一緒できることを今から楽しみにしています。当日の並行セッションも面白そうな内容のため、果たしてどの程度の方にお越しいただけるのか少し不安ではありますが、ともかく頑張りたいと思います。

https://edu-expo.org/registration/2017/?hall=T&new=true#timeline




思い返すと、日本でいわゆる「MOOCバブル」が始まったのは2013年頃だったかと思います。私自身は2010年頃から細々と続けていたオープンエデュケーションの研究がこの頃から突如注目されるようになり、2014年にはJMOOC講座「オープンエデュケーションと未来の学び」を開講し、講演にもたびたびお声がかかるようになり、挙げ句の果てには「MOOC入門」との本まで出すなど、一部の方々から「バブル重田(笑)」と評されるような状況があったことは、今となっては懐かしい思い出です(?)。

その後の展開はご承知の通りで、2015年頃には国内外におけるMOOCブームは沈静化し、世界ではCourseraやedXなどの「グローバルプラットフォーム」が数千万人の受講者を、日本でもJMOOCが数十万人の受講者を抱えるようにはなったものの、当時の勢いはもはや失われたと言えます。MOOCは教育プラットフォームとして定着しました、と言えば聞こえはよいですが、そこにはかつてのような熱狂はなく、多くの人々がMOOCの費用対効果や意義に疑問を持っている状況です。

私は2009年の海外留学をきっかけとして、「教育のオープン化」が大学や社会に与えるよい効果・よくない影響について長い間考え続けてきました。その成果の一つが拙書「オープンエデュケーション」でした。また、私が昨年執筆した論文「オープンエデュケーション:開かれた教育が変える高等教育と生涯学習」は、私なりにMOOCバブルを振り返り、「バブルの落とし前」を付けたいという動機で書いた論文でもありました。

私の所属する北海道大学では、2014年度にOERを活用した学内教育の改善を担う「オープンエデュケーションセンター」を開設し、授業改善のためのOER開発や利用支援、海外のOER翻訳利用を実施しており、私自身は副センター長として3年間にわたり関わってきました(今も)。北大は今年度から学内の体制が大きく変わったこともあり、今後の先行きに少々不安もありますが、OER、オープン教材、MOOCという言葉が徐々に学内へ定着しはじめています。また、今年の春にはセンターと連携する学内ベンチャー企業も立ち上がり、学外と協働しながらその活動の範囲も広がろうとしています。

国内にもMOOCやOERを活用した教育改革、教育改善を標榜する組織やプロジェクトが散見されます。しかしながら管見の限り、どの大学の取り組みにも財政面、人的リソース面などに不安が多い状況かと思います。私はいまこそ、MOOCバブルの再来を願うのではなく「バブルの落とし前」を付け、一からこれからの高等教育をよくするために何をしなくてはならないのか、そのためにMOOCを含むオンライン教育に何ができるのかを、一から考え直すべき時期だと考えています。

このような問題意識から、これからのオープンエデュケーションについての考察を、ここ1,2年の諸外国におけるOERやMOOCの諸活動を振り返りながら、しばらく連載形式で書きたいと思います。

次回はOERに関して、オープン教科書(Open Textbook)関連の取り組みを取り上げます。(続)