2009/01/31

コミュニケーションこそコンテンツ!?ーCONTENT'S FUTUREを読んで

「CONTENT'S FUTURE ポストYouTube時代のクリエイティビティ」を読みました。
デジタルコンテンツの未来を語る本は多数ありますが、日本でのオピニオン・リーダとしても活躍される小寺・津田両氏によるゲストを迎えたこの対談集、読み応えがありました。



中でも興味深かったのは、お二人の対談で語られた、あるエピソードでした。以下引用。

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(p.170下段)
津田 そのとき、スタジオに今22歳で来年からレコード会社に就職するって女の子が見学に来てたんですよ。それで「君にとっての若者文化って何?」って聞いたら「私の中ではmixiです!」って断言したんです。友達の日記を見たり、コメントしたり、テレビや音楽の感想を書いてる、ああいう行為が文化だと。
小寺 文化なんだ(笑)。狭いなぁ。
津田 もちろんそういう若い子だけじゃないんだろうけど、コミュニケーションそのものがコンテンツ化するって現象は、以前だったら考えられなかったわけじゃないですか。そもそもそういう環境がなかったし。‥(以下略)
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歴史を振り返ると、かつては人同士の身振り手振りのような、自己と他者とのコミュニケーションがまずあって、その後言葉や活字、種々の技術によって、そういったものが「保存」できるようになり、ある種の静的な「コンテンツ」と呼ばれるものが作りうるようになりました。

一方で近年、ネットワークやテクノロジの進化によって、コミュニケーションしながらに、そのやりとりが可視化し蓄積する「コンテンツ」を容易に作りうるようになり(電子掲示板はその一例)、「出来合い」のコンテンツなしに、人は自ら起こすコミュニケーションからコンテンツを作り(UGCそのものですね)楽しめるようになりました。その意味で、この動きはある種「コミュニケーション再興」とも言えるでしょう。

しかし、コミュニケーションだけでは生まれないものもあります。
本書の対談で小寺氏が「狭いなぁ」と呟いているのが実は芯をついていて、近しい人同士のやりとりだけでは知り得ないもの、文学や芸術のような歴史の中で積み上げられのこされたものは、「コンテンツ」を通してしか触れられません。

確かにmixiは楽しい、同好の士との対話は心地よい。だが「朋有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや。」、コミュニケーションに没頭するが故に、それをより豊かにするはずのコンテンツに出会う機会を逃してはいないでしょうか。

最近もやもやと考えていた問いを、すっきりと見せてくれた一冊でした。
様々な現場で「コンテンツ」に関わられる方々に、おすすめの一冊です。